川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)


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『主日礼拝はなぜ守るべきなのでしょうか。』 牧師コーナー(706)

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 私たちクリスチャンは、日曜日を主日と呼び、主日を聖なる日として守り、生活を営んでいます。主日とは、文字通り主の日ですので、主に礼拝をささげながら、私たちの歩みがさらに神を仰ぎみるものとなるように願いつつ、安息することを意味します。
 神は天地万物の創造を完成された後、最後の日に安息されました。そしてこの日を聖なる日として定め、すべての人々にこの日を覚えて休むようにと命じました。安息日で最も大切なことは、人間が神の創造と救いを覚えながら神に感謝して栄光を帰し、神の恵みのもとで憩いながら、より敬虔な道を歩めるようになることです。
 新約教会の信徒たちも安息日を聖なる日として守り、ユダヤ人の会堂で共に礼拝をささげました。しかしユダヤ人たちは、イエス・キリストの十字架と復活を信じなかったため、共に礼拝することができなくなりました。イエス様は十字架で死なれたのち、安息日のあと、週の初めの日に復活され、人類の救いを成し遂げられました。そのためこの日を「主の日」と名付け、記念し、共に集まって礼拝をささげながら安息したのです。身も心も魂も休ませるためです。
 私たちが日曜日を主の日として守ることは、単に日曜日だけが特別で、この日だけを聖なるものとして守ればいいという律法的なことではありません。私たちはすべての日が神のものであると信じ、そして主日を聖なる日として守ることで、7日間すべての日を神の御旨(みむね)に従って生きるべきなのです。すべての日は神によって造られました。そして私たちの人生の主は神のみです。ある日だけを特定して区別することは、別の偶像となり得ます (ローマ14:5-6) 。
 使徒の働きでは、初期の新約教会の信徒たちは日々共に集い、礼拝をささげ、聖餐を分かち合ったと語られています。その後、イエス様が復活された日曜日は主の日として区別され、礼拝する日として守るようになり、神の中で安息することの意味が正しく確立されたのです。
 ヘブル人への手紙10:25に「ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。」と書かれています。我が教会は新約教会の信仰の伝統を正しく受け継ぎ、主の日(日曜日)を正しく守り、熱心に集まるべきです。
 主の日として定められた日曜日にクリスチャンが共に集い、神に礼拝をささげることは、最も大切な私たちの信仰のアイデンティティなのです。

趙 南洙師



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